« 歩け!歩け!山に海へと | トップページ | 厳冬の氷ノ山は綺麗やね! »

2013年1月 4日 (金)

テントの歴史を塗り替えた名匠が逝った(トモミツ縫工/友光幸二)

我々が尊敬して止まぬ昭和の名匠が逝った。

友光幸二氏(享年93歳) 平成24年12月28日永眠 

Img_1827今や主流となった吊り下げ式テントを考案設計し登山界に一大革命をもたらした名匠である。

クラブ雲峰の名誉会員であり、我々にとって大恩人でもあった。

Dscn7831

私の手元に古びた一張りの小さなテントが残されている。

今も現役での使用が可能な状態で保存しているのだ。

Dscn7836

試行錯誤を重ねて完成した吊り下げ式テントの初期モデルだ。ダンロップの名を冠して発表された。

Dscn7838

神戸市東灘区の小さな縫工所から日本の否、世界の山岳界を驚愕させる常識を覆したテントが生み出されたのです。

正にコペルニクス的転回であり、即ち登山に於けるテントの概念が一転したと言っても過言ではない。
当時、我々は毎週木曜日の夜に工房に集まっては装備研究会と称する会議を重ねていた。
求められたのは軽量で短時間での設営が可能、そして居住性の良いテントの開発です。それには多くの時間が費やされた。

現在では常識化した長期海外遠征に於けるベースキャンプでのプライベートテント、我々が考えたのは大きなメステントから放射状に小さなテントをジョイントさせる、こんな奇抜な事も考えていたのです。

「パッキングを外してポンと投げたら勝手に自立するテントは作れんやろか?」

「食卓の蠅除け網みたいにテッペンを引けば開くテントはどうやろか?」

奇想天外なアイデアを熱く語っていたのです。
試作テントは我々がテスト使用して改良点を見つけていきます。

国体県予選の時の事です。選手として出場したRYUちゃんは、その時の事を鮮明に覚えていました。当時の登山競技はテントの設営技術も採点の対象でした。他のチームは従来型の三角テントでポールを立て、張り綱をペグで止める作業に懸命です。我々は試作のトモミツテントを持っての参戦でした。設営はほんの数分で完了し、参加者の度肝を抜いたのです。

あの時の審判員が言った言葉が忘れられない。
「何や?このテントは入口どこやねんな?こんなん採点のしようが無い!」

結果はブッちぎりの優勝でした。こうしてトモミツテントは登山界へのリリースに向けて確実に歩を進めていったのです。

0132トモミツ縫工は、数多くの海外遠征隊からの装備発注を受け、その信頼に応えました。その遠征隊から贈られた高峰の写真が壁にズラリと並んでいたのを思い出す。

私の友人がオーストラリア大陸をバイクで横断する旅に出た、その時に使用したのも吊り下げテントの改良型だ。

軽量小型でバイク旅には最適と帰国後の感想だった。

0631クラブ雲峰隊1974年のプ・モリ西壁登攀でも初登頂に大いに貢献した。

この遠征隊メンバーには後にトモミツのスタッフとなった野村、そして同じくスタッフだった今は亡き小山が居たのです。

Dscn7815このタグを覚えているだろうか? 輪カンのマークだ、トモミツを捩ってスリーフレンドとも呼んでいた。

我々と同世代の岳人で 「トモミツ縫工」 この名を知らぬ者は「潜りの山屋」だと言われるだろう。

Img001

私が着用していた積雪期装備は市販品ではなかった。全ての縫製装備がトモミツ縫工製であったとも云える。厳しい登攀の世界で身を守ってくれたのも"TOMOMITSU"ブランドだった。

ある年、冬期登攀用にと化繊綿の入ったオーバーズボンを発注した。靴もスパッツも履いたままで脱着が出来るようにサイドをチャックにして細めにデザインしたが、親父さんと綿の量やデザインで意見が合わず納得してもらうのに苦労したことがあった。頑固で自分が納得しない物は頑として受け付けない天性の職人だった。
クラブ雲峰に入会して真っ先にオーダーしたのがキスリングだった。市販の特大などは可愛いもので、大人が一人スッポリと収まるような超々特大キスリングザックでした。
Img_0001_2
「あれは本当に大きかったなぁ、よう、あんな物を背負えたもんやわ!」
Dscn7812
葬儀告別式の祭壇に飾られた吊り下げテントの精巧な縮尺模型です。神戸山岳会のN君が持参していました。
出棺に際し、このテントは納棺され、友光さんと共に旅立って行きました。
「どうか彼岸に行かれてもこのテントで極楽へのキャラバンを続けて下さいね」

私たちは「トモミツ縫工」を決して忘れない。
そして登山の形態を変えた偉大なる名匠 友光幸二 の名を心に刻み付ける。
登山史に残すべき凄い名匠が神戸に居た事をどうか忘れないでほしい。

ここに一人の男が居る。星加弘之だ。友光幸二にとっては最後の弟子となった人物だ。
神戸ザック ←クリック(ホームページが開きます)
登山家でもあった彼は師の技術に心酔し、安定した職を捨てトモミツの門を叩いたのです。神戸ザックは師の技術を受け継いだ彼が開いた工房である。
そして今や多くの愛好者の支持を受け ”IMOCK” ブランドで神戸からその手作り技術の高さを全国に発信している。

「友光幸二さん、親父さん、本当に有難う御座いました。そしてご苦労様でした。心よりご冥福をお祈り申し上げます」
 

« 歩け!歩け!山に海へと | トップページ | 厳冬の氷ノ山は綺麗やね! »

コメント

先輩、あえて山の先輩として敬意を込めて。ありがとうございましたと、友光、おやじさん追悼と想い出の数々を読ませて、いただき感謝の念を心より。
突然の書き込み、御容赦ください。古い山仲間で「ヤマケイ」関連のガイド文などを執筆しているライタ-の友人や、かって付き合いのあったクライマ-の先輩達からも、昨年・年末の訃報を聞き及んでいました。昨年の秋の終わりに、いつものように私の出たTVや新聞関係の資料などを手土産がわりに、ふらっと御自宅を訪問し、短い時間でしたが楽しい会話の時間を持ちました。

何かを書こうと思いながら、悲しくて筆も進まず、私自身の稚拙なプログの中などに追悼の気持ちなどを書きながら、先輩の書かれた文を重く、大切に読ませていただいています。

寒さ、時折、山笑う季節も間近ながら御自愛ください。

黒田様
兵庫山岳の5月号にやっと掲載してくれました。古賀氏になんで2月号に訃報で載せてくれないの?
なんて言ってしまいました。実は誰も気が付かなかったらしいですね。岳連がいろいろ世話になってんやろせめて次の新聞に載せて皆さんにお知らせをしてほしいと訴えていました。古賀さんは黒田さんからも言われていますので遅まきながら4月号にはと言ってましたが5月号には大きく取り上げてくれてなんかヤレヤレと言う感じでした。黒田さん のお陰です本当に有り難うございました。  星加
追伸 今の山やさんももっと考えて工夫せなあきませんな~

最近 昔の山の記録を整理していたところ ノートから トモミツ縫工さんのメモが出てきたので 検索したところ ここにたどり着きました ^^c  初めて作った大型ザック70Łが友光さんの 赤いザックでした 大型の縦走には ほとんどこれを使いました 今も丈夫で残っています 40キロを担いで冬の北八縦走は これがなくては入りませんでした。重圧で深海魚の気分でしたが。・・・最近までご健在だったとは…ご冥福をお祈りします。  情報ありがとうございました。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1773294/48507878

この記事へのトラックバック一覧です: テントの歴史を塗り替えた名匠が逝った(トモミツ縫工/友光幸二):

« 歩け!歩け!山に海へと | トップページ | 厳冬の氷ノ山は綺麗やね! »

フォト

ブログリンク

  • クラブ雲峰ホームページ
    神戸を拠点として活動する創立50年を超えるクラブ雲峰のホームページです。
  • 遠征プロジェクト
    海外遠征を目指し頑張っているナベちゃんの活動が掲載されています。
  • 雲峰イズム
    クラブ雲峰の未来を担う現役組が運営するブログの開設です。ぜひ一読下さいね。
  • 会員掲示板
    クラブ雲峰の会員用掲示版です。 山行計画、連絡事項、ご意見、ボヤキを自由に 書き込んで下さい。
  • クラブ雲峰
    2007年にブログを開設して2012年までの記事を掲載しております。
無料ブログはココログ
2018年9月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            

最近のトラックバック